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今年度の記録   楽しかったウオーク&イベントの写真集

              

      [次回の駿府ウエイブ企画ガイド] 平成24年5月27日(日)
        駿府の「家康公ゆかりのお寺・神社」を巡ろう

               詳細はこちらを 

 

平成24年4月29日(日)かわなび主催「静岡用水と大谷川放水路を歩く会」の報告です。
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静岡市治水交流資料館「かわなび」は開館3周年を
迎えました。それを記念して静岡市の水との関わり
を現在に伝える水路の勉強です。
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駿府城下町の中には、町中を縦横に流れていた用水がありました。 駿府名物の一つでもあり、安倍川を水源とするこの用水は薩摩土手から取水し安倍川の綺麗な水を城下の隅々まで供給していました。もうひとつの用水は鯨ケ池からの名水で、駿府城濠に「御用水」として利用され、堀の中の水路から横内川へそそぎ巴川に流れ清水湊まで流れていました。 今回の駿府用水・・現在の静岡用水は静岡市役所の前から江川町交差点へと流れ、暗渠になった地下を伝馬町から八幡山西側に流れ有東へ・・・豊田からは、この目で見る事が出来るのです。現在は農業用水路として管理され整備されています。   

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豊田の交差点には「大谷城壕用水」の苦労話が書かれていました。大谷村の人たちは先祖代々農業
用水の確保に泣かされて血のにじむ様な苦労を重ねてきました。毎年のようにが堤防が決壊し田畑は冠水、収穫をダメにした。、江戸初期この訴えが認められ横内川から取水することが出来た・・・・

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左は大谷川と大谷川放水路の合流点です。 昭和49年の七夕豪雨で被害を受けた巴川流域の治水対策の一環として建設されました。静岡市葵区古庄付近で巴川から分流し、駿河湾に注ぐ。この放水路は、従来巴川に流入していた後久川と小鹿沢川を逆流させ、駿河区恩田原地区周辺は掘削して河川を建設。それにより駿河区南部を流れていた大谷川と接続、構想から46年で完成・・・20年にも及ぶ用地買収のご苦労がありました。

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 かわなびに到着しました。暑い日になりました。お疲れ様・・・

平成24年3月25日(日)
梶原一族の終焉の地「梶原山の麓・高部の山の辺の道」を歩く・・報告です。
 
 静岡は彼岸を過ぎても、寒い日が続いていましたが、24日にさくらの開花宣言が出ました。さあ、もう一息・・今日のウオークはお花がいっぱいです。JA高部バス停前広場に集合、和田川沿いの遊歩道は温かでした。
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                                      ショカッサイ

先ず今川範国が祖先の霊を祀ったと言われている真珠院へ向かいます。ナギの木は指定天然記念物、前後に引っ張っても千切れない葉は嫁入りの娘へ母がそっと入れたと・

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         カワズサクラ                  ホトケノザ              ナノハナ
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      コメザクラ                                  ノースボール    
柏尾の光福寺(コウフクジ)は「日本のガウディ」と呼ばれ、関東大震災後に時代の先取りとして昭和2年製の鉄筋コンクリートの建物です。4本の円柱を軸にして左右に二重石塔・中央に宝珠がありとても華麗な姿で、びっくりしますね。
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                           牛欄寺のサクラ   

歩いて、歩いて、エドコヒガンサクラが満開の牛欄寺(ギュウランジ)です。駿府城から移築したと言われている山門は葵のご紋が付いています。牛が鎮座し龍爪山の雨乞い儀礼に牛が重要な役割をしていたのです。そろそろお腹も空いてきました。高部の生涯学習交流館にて昼食です。

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昼食後は大内の保蟹寺(ホウカイジ)から始まりました。行基菩薩の作になる蟹薬師(蟹の背に乗る珍しい像)が本尊です。残念ながら見る事は出来ませんでしたので写真です。ここは江戸末期に寺子屋が置かれ高部小学校の発祥の地です。
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山の上には、安倍七観音の寺・大内観音霊山寺がありますが今回は見上げるだけ。次は桃林寺(トウリンジ)、裏山の祠に牛頭天皇を祀り雌牛の牛石があります。牛欄寺の牛は雄牛だったのをご存知でしたか・・・梶原堂に到着しました。
・・・今日は良い天気に恵まれ、春を満喫しました。元気に歩けましたか・・・次回も、お待ちしています。ありがとう

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今日は嬉しい報告が出来ます。ホームページを見て申込をされた、北九州から来られた方がいたのです。
梶原山をバックに記念写真をお願いしました。
遠い所をありがとうございました。
                                         





平成24年 1月15日(日) 企画ウオークの報告です。
                   

 新春の初詣は静岡浅間神社で♪
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 清々しい気持ちで新年を迎えられたことと思います。 本年も、駿府ウエイブの企画ウオークへの

ご参加くださいますよう、お願いいたします。 


本年最初のウオークは、
普段何気なく通り過ぎて
しまっている市内の社寺を
参拝し、最後にゆっくり
静岡浅間神社で初詣の祈願  を
いたしました。 葵区新富公園に、150人余の人たちが  集合しました。まず、お隣の大林寺へ  山門には立派な仁王さんがおります。 裏側には、風神・雷神が鎮座して お寺さんを守っています。  桜森稲荷神社は、大きなお屋敷の中に 祀られていました。 浅間神社の神官「土大夫」さんの 霊も祀られています。 

尼ヶ崎稲荷神社は、大阪に居住する「尼ヶ崎又右衛門」 が家康に召し出されて、駿府に移り住んだ所です

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顕光院には、大きな「木魚」が奉納されています。とても大きなもので、お寺のお話では 東京の護国寺・泉岳寺に一回り大きなものがあって、木魚三兄弟だそうです。

十辺舎一九の実家・重田家のお墓があります。十辺舎一九のお墓は、 東京の中央区勝鬨
4丁目の『東陽院」にあります。
顕光院を出たところに懐かしい看板を見つけました。

 

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奥津彦神社は、奥津彦命を祀っています。火の神・竈の神様です。

戦災に遭い、昭和27年に再建された本殿には、鏝絵の名人『森田鶴堂」の嗣子の 鳳凰や
天女などの鏝絵が施されています。

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1月15日、浅間神社では装束に身を包んだ射てが大的を射る

『大的式(おおまとしき)』の神事が行われていました。的の裏に「鬼」という文字を

封じ込め60Mの距離から矢を射こみます。

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 平成23年11月27日(日) 
    静岡市清流の都創造課主催の「駿府御用水ウオーク」の報告です。
 お天気に恵まれ、葵区下(しも)にある鯨が池老人センターに180人も集まり10時過ぎに出発、いよいよ御用水に沿ってのウォークが始まりました。

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この鯨が池の由来は天平1933日にいきなり鯨の潮吹きのように水が噴き出して、

池ができたようです。そしてこれを「鯨ケ池」と呼ぶようになったと言う事です。

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御用水は鯨ケ池から、道路の下を流れていたが福田ケ谷公民館付近で姿を現す。このあたりから水がきれいで、透き通っていてまさに“清流”と呼ばれるにふさわしい!!
その証拠に何匹もの大きな鯉が放流されており、又遊歩道として整備されており、道行く人々の目を楽しませる風景である。参加者も口々に清流の鯉や川のまわりの海芋
カラー)の白いお花に見入った。


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1120分ごろ北部体育館に着き、早めの昼食になり12時には午後の部として歩き始めました。北部体育館東側で松富方面と与一方面に流れが分かれます。与一には白髭神社が祀られており、興津与一右衛門の手により開基、以来250年度重なる水禍も克服したので、興津家継嗣にして大井川宗高(志太郡)より移り超した池ヶ谷一門により「碑」が建てられた。 

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伊呂波町切通し付近の「枡形グレーチング」では駿府御用水の一部を田圃や畑に供給した。このあたりが半分くらいでしょうか、みなさん疲れも見せず頑張って御用水に
沿って歩いています。 水道町をすぎ、材木町へ・・・・このあたりから水が静岡浅間神社と町中に分かれていきます。

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静岡市立病院の北側で外堀へ注がれ、駿府城へと御用水が流れてきました。

四足御門から日赤病院の前では、戦争中に丸焼けになったという「楠木」が芽を出して現在では大木になったことを説明うけて、みんなでびっくりしました。

御用水は市役所の前を通って再びお堀に注がれ、やがて二の堀に流れてきました。

東御門・巽櫓の前から流れた御お用水は、水落交番のところで東草深の放流水

と合流しました。

午前10時過ぎから4時間半のウォークには、約10キロ疲れた・・・けれど山から、町中まで 楽しいウォーキングをして、普段何気なく使っている水がみんなの生活していく上で、 欠かせないものだと改めて感心したりびっくりしました。 皆様今日はお疲れ様でした。またお会いしましょう。
 
 

 平成23年9月25日(日)駅南散策ウオー

天気にも恵まれウオークに最適な日になりました。駅北口に150人程集まり、930分出発です。兵庫ヶ浜地蔵につきました。駅の近くのお地蔵さんで、皆さん、こんなところにと驚かれていました。
伊河麻神社に到着、広い境内に台風の爪あとが残っていました。南幹線を走っていると、ひときわ目立つ緑の杜です。車の中からはよく見るけど寄るのは初めての方が多かったようです。千勝浅間神社です。みなさん、さざれ石の説明を熱心に聞いてくださいました。

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鯖大師のお話しはとても面白いくまたかわいいお地蔵様でした。会いに行ってくださいね。 八幡神社は太田道灌と北条早雲に関係のある神社です。8月14,15日のお祭では初めてのお子さんを土俵に上げて健康を祈ります。 小黒浅間神社は旧静岡市の11ある浅間神社の1つです。

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静岡地方気象台では、 サクラの開花宣言は,標準木が5輪咲くと開花となります。 生物によっても季節観測をしているということです。 森下公園に到着してお昼ごはんです。 今回は半日コースを,紹介しましたが如何でしたか?

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平成23年5月29日(日) 「駿府城下町96ヶ町の町名碑めぐり」 の報告

今回は・・ついてる・・付いてる・・台風2号が付いて来た・・・昨日からは雨で、当日はもっと雨で、五月雨とは良く言ったもんだ・・・寒さは終わり、夏には少し間近の季節です。206名の申込みでしたが60人のご案内をしました。町名は消えたが「御器屋町の碑」 ↓ アガティスの木↓
  
「御器かぶり」って知っていますか、あのゴキブリの事です。お椀の中を動き回る事に由来するらしいです。アガティスは日本で2本しかない珍らしい木で、隣のマンションの名にもついてます。
慶喜さんも通った河内庵、前の「宮ヶ崎町の碑」  こんな消火栓の蓋もありました。

 
住吉神社辺りには、昔、川が流れていたらしい 伊勢丹前「札の辻町」には高札場があった

  
京都伏見銀座についで2番目の銀座の名は慶長17年(1612)江戸へ移転して東京銀座になりますが、全国では商店街に300程もあるそうです。「両替町の碑」は青葉通りにありました。寛永12年家光公から下賜された「時の鐘」があり・・明け6ツ暮れ6ツ・・を住民に時間を知らせていました。七間町は映画街の賑わいが懐かしい、そして東海道でした。寺町は常盤公園
  

お昼は「常慶町の碑」のある教覚寺さんの会館をお借りしました。 みんな雨で塗れていますのに心良く貸して頂けました。当日は法事もある中申し訳なく、お寺さんの温かな気持ちが伝わり、 親鸞聖人も見つめて下さっていました。ありがとうございました。ここの住職の南荘さんは活動範囲が広く、静岡賛歌を作曲したり、 合唱団『TERA』の代表など音楽活動もされています。島田歌穂さんが歌う・・[爽やかに富士はそびえて、輝く静岡」・・・ 2011年は親鸞没後
750年忌、 またその師・法然没後800年忌とか・・・今年は、全国で、 いろんなイベントが行われています。

  
 寺の北側角にある町名碑は家康公の家臣
「松下常慶」の屋敷だけで常慶町と呼ばれる広さがあった。
   

宝台院横には「下魚町の碑」  伝馬町に入りました。新谷町(シンガイチョウ) は小梳神社の神主・新谷新の居宅だったところ  伝馬町通りから東海道は地下道に入りコンガラカル・・・

  
「花陽院門前町」は久能街道への道・・ 城から八幡や有東脇を通り、海に抜け久能山東照宮へ向かう道です。そして家康公の竹千代時代に苦労をかけた祖母源応尼が眠ります。
「鋳物師町」は鋳型に溶解金属を流し込み大仏、燈篭やナベ・カマを作るキューポラのこと
「猿屋町」は馬の病除けや回り猿をして1年の安泰を祈る芸能をした猿引きの住んだ町
  

西宮神社は恵比寿さま・・・イザナギ・イザナミの最初の子(蛭子命) が足腰が立たなかったので葦の舟に乗せて海に流したら兵庫県の西宮に着き、 ここで成人し漁業や商売の神さまになった事に由来するそうです。七福神の中で唯一日本の神さまです。下横田町に着きました。


雨も又自然です・・・が、今日は一日傘が手放せなかった・・・。参加して頂いた皆さまに、本当に感謝です。聞き易いガイドが出来ましたでしょうか・・・現在26の町名碑がありますが、これからも建立されて行きます。また、いつかの機会にご案内させて頂きます。

今日は本当にありがとうございました。


 
平成23年3月27日(日) 「入江一族と梶原氏」の報告


桜の開花宣言が出ましたが寒い日が続いています。今日は、祈りが東日本に届けと温かな日となりました。 みなさん、義援金をありがとうございました。静岡新聞社を通じて、必ず届けさせて頂きます。

大和朝廷のタガが緩み政治が乱れ朝廷の力も地方まで及ばなくなって来ました。地方の豪族や名主は自分で領地を守るために武器を蓄え、家来に武器を持たせました。武士の誕生です。この地を守った豪族が入江氏とその一族です。住んで居るところの地名が苗字となり

入江・吉川・原・船越・岡部・天野・渋川・ 興津・蒲原・矢部・三沢を名乗り、同族に工藤・狩野・二階堂・相良氏がいます。

まず、入江氏の館があった文殊稲荷神社から歩き始め、志みず道へと進みます。

    
「追分のお不動さん」と言われた延寿院は方三間堂の室町時代の建築様式です。
入江氏の屋敷の鬼門除けだった珠林寺では丁度、花まつりの稚児さんが象の飾りものを
金剛法寺から紐を引いて連れて来ていました。

      

金剛法寺
ここは渋川氏の東西・南北200mの屋敷があった所です。巴川を越えて高橋の高源寺へ。

正治2年(1200年)1月20日頼朝亡き後、重臣たちの連判状により鎌倉を追われた梶原景時一行は夜半行動をするが待ち受けていた入江一族と遭遇した。狐ヶ崎での壮絶な戦いに
梶原景時・景季・景高らは、敗戦を悟り、馬の後ろ足で夕日無し山を登り、鬢(びん)を直し、自決した。のち梶原山と呼ばれ、山頂には大きなしだれ桜があり、梶原一族を見守っています。敗者を祀っている高源寺には景時のレリーフがありました。

時世の句「もののふの 覚悟もかかる時にこそ 心の知らぬ 名のみをしけれ」
             


昼食後入江一族の吉川氏の墳墓と屋敷跡へと進みます。
 
南北朝の時代、
多くの入江一族は南朝方に付き今川家と対立し衰退の憂き目を見るが

吉川氏だけは播磨・安芸に領地を移し岩国吉川氏として毛利氏と縁を結び現在に生きている。

      

吉川八幡神社に寄り、線路の上を川が流れる谷津沢川水路橋に到着です。
みなさま・・・今日もありがとう

   
 

 平成23年1月16日(日)・・・・ 新春の初詣は静岡浅間神社で・・・・


温かい静岡に寒波襲来と盛んにテレビで報道されていました。ぅぅぅぅ・・気合を入れてご案内しなくてはと決意、ところが朝から良い日差しでほっと胸を下ろしました。西草深公園に 集まって下さった新年の皆さんの顔は輝いています。神部・

浅間・大歳御祖神社と 麓山・少彦名・八千戈・玉鉾神社の
七社参りの後、 瑞龍寺へと向かいます。 ここは秀吉公の妹・旭姫の供養塔がある所、家康を上洛させんが為、佐治日向守と離縁させてまで、浜松にいる家康に嫁いだ姫は、時に44歳、 日向守は悲憤のあまり腹を切ったと言う。瑞龍寺は日向守の位牌を預けてあった寺でした。 戦国の世の何と理不尽な運命か・・・又ここにはキリシタン灯篭と時雨塚がありました。次の 松樹院にはタイ国の日本人町の長となりナンバー2にまで登りつめた山田長政が奉納した薬師如来石像(お薬師さん)が建っています。安倍街道を渡り山岡鉄舟宅跡・・安倍鉄道跡・・
大応国師産湯の井戸を見て薩摩土手へ・・

この記念碑は平成元年、
鹿児島賢人会関係者の出席で除幕式が行われたと言う。大正3年の大洪水の時、露出した大石に○に十の字の刻印があるのを見て本当に   天下普請での薩摩藩の仕事だと確信したそうです。


  
   

強い流れに逆らうことなく作られた土手は、妙見下から中野新田までのおよそ4K。 町中の 用水の為の水門の話や川除け地蔵さんの事・・あれ、風花が舞っているではありませんか・・

川除け延命地蔵の秋葉燈篭にある雨だれの痕・・寒い・・・田町公園でお昼となりました。
    
                    野桜わさび屋さんで       柳小路


昼食後は八番町から一番町まで歩き、葵町の名前の由来や柳小路のなごり。

     

新茶のシーズンには活気のある静岡茶市場また八雲神社の桜は知る人ぞ知る桜の名所
茶町通りには沢山の町名があるのを数えました。柚木町(ユズノキチョウ) → 土太夫町    (ドダユウチョウ)  → 上桶屋町(カミオケヤチョウ) →茶町(チャマチ) → 金座町(キンザマチ)から
中町(ナカチョウ)・・・・今日の終点の静岡天満宮へ到着です。 お疲れさま・・・・

上魚町(カミウオマチ) の名は 今は無くなってしまった。
昔はカミンダナと呼ばれていました。
かすかなチョークの跡・・
ガイド救いのシルシ・・

          又3月の入江一族企画に、ご参加
お待ちしています。 

情報更新日 : 2012年04月30日