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静岡市内の名所・旧跡をご紹介

          

こんな所ご存知ですか?  

 昔・・・ 与一右衛門新田 今・・・よいち の歴史紙芝居 

安倍川左岸に位置する静岡市葵区の与一は、平成元年まで与一右衛門新田と
いわれ、江戸時代に新田開発された地域である。町内会によると、開墾の歴史を記した資料などは残されていないが、地元では1751年(宝暦元年)に
奥津与一右衛門という人物が手掛けたと伝えられている。安倍川の氾濫を治める堤防全体の完成に要した年月は不明だが、葵区松富の市北部体育館南側付近から築堤し約1キロ下流まで築いた。

当初、約20ヘクタールを開拓する計画だったが、途中で面積が足りないことがわかり、堤防を川側に曲げたとの逸話も残る。堤防は当時の名残をとどめる。今はかっての堤防上部を道路が走り、クランク状に曲がっている。堤防は大水によって何度も決壊したため『白髭神社』を建て、工事の無事を祈ったと云う。

先人たちが260年もの昔、自然の脅威と戦いながら与一を築き上げてきた功績を
後世の人に伝え残すため、又子供たちにもわかりやすく理解させるため、町内会で『紙芝居』を造った。
 

  

この与一の土地はすごい荒地でした。
代官が来て名主の奥津与一右衛門に荒地の開墾を命じました。            悪い土地だったので、これまで誰も手をつけなかったのです。

  

開墾するかどうか迷っていたとき、突然龍が現れて白髭の老人を連れてきました。
この老人から力を得て開墾に踏み出しました。しかし、雨が降って何度も堤防が崩れたりして作業はなかなかはかどらなかったのです。それでも頑張っていると少しづつ開墾できて、協力する人々も増えてきました。白髭の老人は、その作業をずっと見守ってくれていました。そこで村では神社を建て『白髭』さんを大事にお祀りしています。

10月9日(日)葵区北にある『浅間神社』の境内で鎮守の杜コンサートが北町内の婦人部の主催で開かれました。このイベントは地域の人々に愛され今年で11回目を迎えました。台風15号の被害を受け参道の大木が倒れ、開催が危ぶまれたようです。境内を埋め尽くした観客は500人を越え、関係者の方々のご苦労が報われました。これからも、このイベントが長く続きますように・・・

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今年は、”十三夜のコンサートの夕べ”と題しサキソフォン・ヴァイオリン・ピアノの『トリオ奏(みなと)』の出演でクラシックからミュージカル・唱歌・歌謡曲まで幅広いジャンルの音楽を楽しませてもらいました。

10月8日(土)葵区有東木・白髭神社の例祭が行われ神楽が奉納されました。先ず神事が行われ神主の祝詞奏上があり、「神迎えの舞」から始まります。神楽は「踊る」のではなく「舞う」・・・
舞殿の周りには、おめでたい図柄を切り抜いた紙を張り巡らし、天井からは御幣が下がっていて独特の雰囲気をかもし出しています。
現在伝承されている演目は「16」あるが、すべてを舞う事は少ないそうです。初めが「神迎えの舞」で「火の舞」「神帰しの舞」で締めます。
舞手が15・6人いて交代で順次舞っていきます。中学生・小学生も頑張っています・

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2時頃から始まった神楽も演目が進むにつれて、夜も更けてきて本殿前の灯篭に灯りが入り篝火がたかれ、いよいよ「火の舞」が始まります。松明に火がついてそれをまわしながら舞われます・電気が消され灯篭の火と、篝火と、舞手の松明と、観客のために炊かれている焚き火の火とで、とても幻想的でした。

 

 静岡市葵区有東木、山の中腹にある静かな集落に起源は鎌倉時代ともいわれ
国の重要無形文化財に指定されている'盆踊り’が今年も行われました。
 呼びたいこの音が合図で踊りの始まりです。

「佛谷山・東雲寺」の境内に地元の住民や見物の人々が集まり踊りの輪が出来ました。先端に紙のフサがついた「ささら」や扇子を持った踊り手の輪の中に城を模った灯篭をかぶった男性が踊ります。この灯篭は精霊を招く目印だそうで、男踊り・女踊りの両方の輪の中に入って踊ります。 この日はちょうど満月!月とちょうちんの明かりに照らされて、素朴で厳かな雰囲気の踊りが続きました。

本堂横にあるお堂の中には、 平安時代後期の作と判明し、3年前に市の文化財に指定された大日如来が祀られています。 指定されて急遽お堂の扉を頑丈に修理したそうです。



宍原の紹介 第2弾です。

道祖神は一般には疫神や悪霊が侵入しないよう、
村はずれの路傍や辻、橋のたもと峠などに大きな石をもって祀られた。
近世以降は浮彫双立像(双体像)の信州石工の技法が流行した。
 信州や甲州に多く見られるが、駿河では富士川沿いに見られるだけで、府中には殆ど見られない.


 ここ宍原に双体道祖神が大事に祀られている。
国道52号線を右に入り小さな川を渡った橋のたもとの木立の中にひっそりとたたずんでいる。
「宍原を考える会」のメンバーが宍原の財産として護ってくれている。
この道祖神を通り過ぎて行くと、ブルーベリー畑が広がっている。「宍原を考える会」が中心になって町おこしの一環で「ブルーベリー狩」を行っている。静岡ではまだまだ珍しいブルーベリー畑を一度ご覧になってはいかが!!!
  お問い合わせは、宍原協同製茶組合 電話 054・394・0006
              
 


清水駅前のバスターミナルが綺麗になった事を知っていますか・・・・
  
                                        
久能山東照宮の碑や防人の歌の碑が場所を変えました
いずれも駅の東出口に移動しています。清水駅がどんどん素敵に変身です。

                                    

 万葉歌碑 防人の歌
  
たちばなの
 
みをりのさとに 
   父をおきて 道のながては
    行きかてぬかも 
丈部足麻呂
 
 
1300年前の奈良時代、興津立花から
防人(サキモリ)として北九州の防衛 
に狩り出された若者が、父との別れに
挨拶もろくにせずに出て来てしまったと詠んだ歌である。若者は故郷の立花に残してきた老いた父を思いやりつつ、自分も道中が長くてとてもたどり着けないかも知れない・・・と不安を持ちながらも父を思う気持ちを素直に出しています。・・・と検索しました。父を詠んだ万葉集はただひとつと記憶しています。

 家康公は鷹狩りを好み頻繁に出かけたと伝えられています。
ここ、静岡市葵区の門屋にもたびたび訪れて、その足跡を残しています。たとえば、御殿場!谷あいの一番奥に大きな岩があり、その周辺で休憩したといわれています。そしてもう
一ヶ所、御殿場に着く少し手前を西へ尾根に向かい山道を登ると、広く開けた台地に出ます。一面の茶畑が広がり眼下に安倍川の流れが望まれます。ここまで登ってきて汗ばんだ身体を休めるには、絶好の場所でしょう。家康公もここで休憩をし『鼓』を奏でたといわれています。
そこで、この一帯を『鼓平つづみたいら』と言うそうです。

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 「鼓平」から林道を西へ降ると、目の下に新東名がほぼ出来上がっています。その橋脚の間から鯨ヶ池を望む事ができます。

 

 突然、静岡を襲った地震から早2年!
お堀の石垣の修理はほとんどが完成していますが、県庁前の一部の補修工事が残されています。

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 現在の国道52号線は、甲斐の国と駿河を結ぶ交易の道・塩の道『甲州街道』 と呼ばれる主要な幹線道路です。その甲州街道の宍原宿と甲斐の万沢宿の間は 『長峰三里』と言われる峠越えの難所でもあります。

宍原宿の北のはずれには、織田・徳川連合軍と武田の合戦を語り継ぐ五輪塔、西国を回らなくても同じ御利益があるとされる西国三十三観音、一基に3体を彫った六地蔵が大事に祀られています。三十三観音は大木家が護持しており、何代前か不詳だが山梨県杉山村の大家より大木家に嫁入りした人の『嫁入り道具』の一部だと、聞かされて大変驚きました。

宍原宿を抜けて、『長峰三里』の入口まで来ると茶畑が広がりそこから山道にかかります。おりしも八十八夜、新芽の緑が目に鮮やかです。

 

          万沢口への途中には、後山(うしろやま)古住田(こじゅうた)の集落があります

 後山には5軒の民家があり、その内の1軒にお邪魔しました。有に100年は経っているだろうと思われる母屋は大変立派で風格さえ感じられます。        また、軒下に作られた『はち』の巣も大きくこれを一日で造ったと言いますから働き蜂の力もたいしたものです。

古住田の高台から降りてくると川に出ますが、この川沿いに3軒の家があります。 そして、この川が甲斐と駿河を分ける『境川』架かる橋が 『両国橋』。                                              

 子供の頃、夏の夕立が去って涼風が吹き出した宵、近所の大人たちが「ちょっくら、 七ぶらしてくらー」と言って出かけていきました。

県庁から西へ真直ぐに伸びた通りが七間町。 この七間町をぶらつくから『七ぶら』                        

七間町と昭和町通りが交差するあたりに映画館が集まっています。

 そこで 『七ぶらシネマ通り』、      通りの両側に、映画の撮影機材がモニュメントとして据えられてい、 1993年の「市民景観大賞」を受賞しています。

『映画撮影機』  ミッシェル社製

 35mmの映画撮影機と言えば ミッシェル社
  の物が一番多く使われて、松竹大船撮影所
 より
寄贈されました。昭和四十年頃まで活躍 
   
笠 智衆・原 節子主演「麦秋」 
  
佐田啓二・岸 恵子主演「君の名は」等の
 
撮影に使われました。



     葵区七間町・オリオン座の壁画
     

 『不動の滝』には一滴の水もありませんでした。     
ここは、東海道線興津駅から線路沿いに西に向かっ
て歩き、
二つ目の踏切を渡ったところにあります。

正面に茨原神社の鳥居が見えています。 鳥居の前を右に進むと、 この滝があります。 年末からのカラカラ天気で見事な枯滝になっていました。薄い板のような岩盤を積み重ねた様が珍しく思わずシャッターをきってしまいました。 雨が降ってここに水が流れたら、どんな風情をかもし出してくれるでしょうか

傍らには、たくさんの寒サクラが植えられてあり、ちらほら咲き出していました。                       (2月9日撮影)

           

  静岡県では建造物で初めて、国宝に指定されることになった久能山東照宮は、今、参拝者で大変賑わっています。塗り替え工事が終わり、創建当時の極彩色に蘇った社殿には、数々の彫刻が施されています。

一つ一つの彫刻にはそれぞれに物語があり、又、家康公から現代の私たちに向けられたメッセージも込められています。なかでも、拝殿の正面にかけられている『司馬温公の甕割』は、人の命の大切さを教えています。

日光の東照宮にも同じ題材の彫刻が、陽明門の正面にあります。久能山東照宮のものと見比べてみてください 

 

 静岡駅前の県道27号線を北上し、安倍街道に別れて梅が島街道に入り5キロ余り行った所が「平野」です。街道より山の手に少し入ったところに、登録有形文化財の大村家住宅があります                        

 

大村家は武田の家臣といわれ、武田滅亡のおり、安倍峠を越えて下ってきたものと思われます。江戸時代後期に建てられた茅葺屋根の木造平屋建ての古民家です。小屋裏で養蚕が行われるため、 広い空間が取られています。関東から甲州にかけて見られ、この大村家は「かぶと造り」の南限とされています。

 現在の屋根は1998年御殿場の専門業者と、 地元住民や  ボランティアの協力で葺き替えられました。 このかぶと造りの古民家で「縁側カフェ」が開かれます。

   

奥様のお話では、ご当主のお母様が嫁いで来られた時に、天井が張られたそうです。手入れの行き届いた庭を吹き渡る風に吹かれ気持ちの良いもてなしを受けました。            なお、この「縁側カフェ」は毎月第1・第3日曜日に開かれ事前の予約が必要です。

情報更新日 : 2012年03月16日